2024年のノーベル平和賞は、核兵器のない世界の実現に向けた活動と、核兵器が二度と使用されてはならないことを被爆者の証言によって示してきたことが評価され、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授与されました。
日本被団協の一員として、ノルウェー?オスロでのノーベル平和賞の授賞式にも出席された、松浦秀人日本被団協代表理事?愛媛県原爆被害者の会事務局長を講師としてお招きし、足球即时比分_365体育直播¥球探网7年5月23日(金)、南加記念ホールにおいて、「ノーベル平和賞受賞記念講演会~原爆被害者とノーベル平和賞~」を開催しました。本学の学生約140人を含む、約200人が参加しました。
はじめに、仁科弘重足球即时比分_365体育直播¥球探网長から、「戦後生まれの私は、戦争、特に原爆の惨事への直接的な体感はないため、被爆された方々や核兵器禁止運動をされてきた方々との思いとはズレがあります。そのズレを少しでも小さくしておくことが、現在を生きる私どもの責務と思います。今回、日本被団協にノーベル平和賞が授与されたこと、より正しく言えば、『世界の総意として、授与した』のだと思います。ロシアによるウクライナ侵攻が続く中で、『再度の核兵器の使用』という一線を超えずにいることは、80年前のわが国における原爆の悲劇、さらには日本被団協の皆様の『原爆の実態を知って欲しい』という信念と努力の、まさに成果だと考えます。二度と核兵器が使用されないために、戦争未体験者であっても、まず知り、伝えることは、特に私たち日本人にとっては義務に近いものではないでしょうか。」と開会の挨拶がありました。


その後、「原爆被害者とノーベル平和賞」と題して、松浦代表理事の講演が行われました。
最初に、母のおなかの中にいたときに、広島に原爆が投下され、胎内被爆者となったこと、母から聞いた被爆時の生々しい状況について、お話がありました。次に、「原爆の恐ろしさは、巨大な破壊力にとどまらず、戦後も数十年にわたり身体を蝕み続け、子や孫などに時空を超える被害をもたらすものです。被爆者は、就職や結婚などで差別を受けながら、戦後も苦しみ続けました。」と語られました。核兵器禁止を訴える運動や被爆者団体結成、核兵器禁止に関する条約など、世界情勢を交えながらお話いただいた後、被団協のノーベル平和賞受賞についての話題に移りました。
受賞発表時のことを思い出しながら、「戦後79年間の核の不使用を実現し、核兵器禁止条約の採択?発効につながったのは被爆者運動の顕彰であり、その点では大変嬉しく有難い。ただ、今回の受賞は、ウクライナやガザを背景に核兵器使用の現実的な危険性が高まっていることへの警鐘の意味が大きく、喜んでばかりはいられず、『嬉しさも中くらい』でした。」と当時の想いを語られました。その後、授賞式へ出席した際の現地の状況、オスロ大学での講演について、詳しく教えていただきました。
最後に、「私自身、戦争の体験はないが、母や他の被爆者から話を聞く中で、民衆に多大な被害が出ること、多大な苦しみを知りました。戦争は絶対にしてはダメ。軍事的な手段は絶対に使ってほしくない。核兵器のない世界を願って。」と力強く締めくくられました。
質疑応答では、出席者から多様な視点で質問が飛び交いました。松浦代表理事には、一つひとつの問いに丁寧に答えていただき、理解がさらに深まりました。学生からの質問に対しては、「生の事実を可能な範囲で知ってほしい。核兵器は絶対に使ってはならない。」と強い想いを伝えられていました。
最後に、和田寿博法文学部教授?地域協働センター中予副センター長から、「被爆者とノーベル平和賞受賞について学ぶ熱意に感銘を受けました。ともに学ぶ機会となったことに感謝したい。被爆者?戦争体験者は少なくなっているが、被爆者から学んだことを伝えていってほしい。戦争体験を知る、話す、伝える、平和のために何かする、今日をその原動力としてほしい。」と挨拶があり、盛会のうちに終了しました。
<学長室>