平成19年度「国際協力イニシアティブ」教育協力拠点形成事業に、本学から申請した「生命科学を中心とした統合型理科教育に関する国際協力」が採択されました。理科教育の現状調査と統合的理科教育法を国内のみならず国外において実施と普及を試みるため、平成19年11月6日(火)?11日(日)に、タイのブラパ大学とカセサート大学を訪問しました。この事業の詳細については、タイでの報告書に譲ります。
今回は、その第2回目として、中国の浙江工商大学と杭州第四高校を訪問したことについて報告します。
中国出張報告(平成19年11月19日~23日)広報室 加藤明浩
[日程]
平成19年11月19日(月)
松山—上海空港—杭州市 移動
平成19年11月20日(火)
浙江工商大学で理科教育法の実践、夕食会
平成19年11月21日(水)
杭州第四高校で理科教育法の実践
平成19年11月22日(木)
杭州市—上海市 移動
平成19年11月23日(金)
上海空港—松山 移動
[参加者]
無細胞生命科学工学研究センター 林 秀則教授、高井和幸准教授
法文学部 シン東風教授
広報室 加藤明浩
中国が日本の隣国として以前から交流があることは、ここで説明するまでもないでしょう。最近では、週2便ではありますが、松山と上海を結ぶ航空機も運行されるようになり、わずか2時間でお互いが行き来できることもあり、松山との結びつきもますます強くなってきています。
杭州市は、上海から高速道路経由で約3時間のところにある人口約600万人の大都市です。東京や大阪からの航空機の直通便はありますが、松山からだと、上海を経由するのが一般的のようです。
浙江工商大学(11月20日)
杭州市の少し郊外にある浙江工商大学と本学は、平成17年に、教育と学術の資料、刊行物及び学術情報等の交換等を目的に、法文学部を窓口に大学間の交流協定を結んでいます。
今回の出張は、偶然にも、その法文学部の諸田竜美准教授と池 貞姫准教授の同大学での講演と日程が重なり、ほぼ同じ行程で移動することとなりました。
11月19日(月)、上海空港では、持参していた実験器具に麻薬犬が反応し、事務室で取り調べを受けるというトラブルはありましたが、何とか事なきを得て、中国の旅がスタートしました。
上海空港から渋滞の中をやっと抜け出し、3時間かけて杭州市内のホテルに到着。夜遅くまで走っている満員のバス、少し悪い交通マナー、物売り???まさにそこは外国でした。
杭州市内では、諸田准教授と池准教授が翌日20日に訪問予定の浙江工商大学日本文化研究所の王 宝平(Wang Bao Ping)教授が、わざわざ出迎えてくださいました。王教授は、日本語教育関係の部署に所属しており、食事をいただきながら、日本語でお互いの大学のことを話し、翌日からの実験の予備知識を十分に仕入れました。
11月20日(火)、実験を行うこの2日間は、車の手配を洪 益良さんにお願いしています。洪さんは、中国の旅行会社に勤める方で、翌21日に訪問する杭州第四高校と松山南高等学校との交流をはじめ、足球即时比分_365体育直播¥球探网でもお世話になっている方です。勿論、日本語を母国語のように話される方で、心強い味方となりました。
渋滞の市内を抜けかけた頃、浙江工商大学に到着しました。浙江工商大学には、いくつかのキャンパスがあり、今回の実験を行う食品生物工程研究所は、教工路というところにあり、ほぼ市内の中心部です。大学の建物は、建てられてから年月が経っており、決して新しいとは言えませんが、いかにも大学らしく、広く落ち着いた感じがするキャンパスでした。
梁 新楽(Liang Xinle)学部長は、非常に気さくな方で、林教授から梁学部長にお土産を手渡すと、非常に喜ばれました。その後、担当の趙 艶(Zhao Yan)副教授と打ち合わせ、実験の準備を行い、昼を迎えました。
昼食は、関係の先生方や事務局長にも歓迎していただき、大学内でいただきました。中国の方は、昼間から実によく食べられます。我々は、遅い朝食でまだそんなには空腹でなかったのですが、次々と出される、夜の歓迎を受けているのかと思われるようなご馳走を戴き、中国のビールをぐっと飲みたいのを抑えつつ、いよいよ実験室に戻りました。廊下では、受講する学生が、待ちかねていました。
今回の実験は、全て英語で行いました。林教授も高井准教授も、中国語は話せませんが、英語は普通に話されます。日本語で授業をして中国語の通訳をという案もありましたが、大学生に日本人が話す英語で授業を受けてもらうということは、とても意味があることだということで、あえて英語で行うこととなりました。
今回の学生は、高校を卒業したばかりの1回生。しかし、中国では、日本よりも英語教育に力を入れており、日本の大学生がほとんど英語を使えないのと対照的に、理解度はかなり高いようでした。担当の趙副教授のご希望でもあったようです。
林教授の授業は、タイでの実験と同じく、まず、試験管の中で作るタンパク質です。一般的には、タンパク質は光りません。しかし、オワンクラゲというクラゲのタンパク質だけは、緑色に光るという特殊なタンパク質です。そのため、暗いところで紫外線を当てると、タンパク質ができたことが目に見えて確認できるわけです。
学生たちの目は、実に生き生きとしていました。誰にとっても、理科の実験は、楽しいものでしょう。私などは、授業では、何のために行う実験なのかを理解せずに、反応したり色が変わったりすることだけを楽しんでいたほうですが、優秀な浙江工商大学の学生たちは、タンパク質の仕組みを理解した上で実験に望んでいたようです。
その処理には、2時間程度の時間がかかります。その間には、まず、高井准教授の講義を行いました。高井准教授には、DNAが持っている一つ一つの遺伝情報について、山上憶良の詩「瓜食めば子ども思ほゆ」とその英訳When we eat melons, we come to think of our childrenにおいて、日本語の単語1つが英語の単語1つに対応していることを例に上げ、非常にわかりやすく話していただきました。学生たちの理解して納得したときの歓声と表情が忘れられません。
続いては、いよいよ、林教授によるブロッコリーからDNAを取り出す実験です。一つの生物には、どの細胞にも同じDNAが1個(あるいは同じDNAのセットが1組)だけ入っているため、小さい細胞を集めると、比較的簡単にDNAが取り出せるということです。具体的には、花芽、白子、レバーなどがよく使われるようですが、今回は、ブロッコリーで行いました。
学生たちは、ここでも興味深々でした。林教授の英語を、恐らく大半は理解して、次々とブロッコリーの花の部分を削り取り、実験を進めていきました。そして、最後に白い雲状のDNAが取り出せたときは、初めて形として見るDNAに歓声が上がっていました。
3時間の実験は、あっという間でした。最後に、最初に行ったタンパク質の実験の確認を行いましたが、時間が少なくて、完全な緑に光ったものが少なかったのが残念です。
日暮れの早くなっていくこの時期、実験の後は、もう薄暗くなっています。我々は、梁学部長に誘われ、浙江工商大学国際交流センター長の王 国安(Wang Guo An)教授が用意してくださった宴卓で、今度は本当の夕食会となりました。趙副教授はお子さん連れ、更に法文学部から留学中の大島万由子さん(3回生)も参加し、総勢10人ほどの夕食会となりました。中国の方は、よく喋ります。言葉はわからなくても、身振りと表情で、多少は意味が通じるから不思議なものです。実ににぎやかな夕食会で、こうして皆で話せることが国際交流だとの王センター長の意見に、皆で頷きました。
お世話になった方に挨拶を告げた後も、まだ終わりません。今度は、諸田准教授、池准教授が講演を行った学部でのメンバーと合流。実にたくさんの方々と交流をし、話は尽きずに夜は更けていきました。
杭州第四高校(11月21日)
杭州第四高校は、以前は何もなかった杭州市のかなり郊外に作られたため、車で1時間以上はかかります。杭州で指折りの進学校ですが、このように交通が不便なこともあり、全員が寮に入っています。教職員も、通常の交通手段では通うことが困難なため、高校のバスで通っています。本学が指導に携わっているスーパーサイエンス指定校である松山南高等学校と研究交流があることから、今回、訪問することとなりました。
11月21日(水)、杭州第四高校での同じ実験です。杭州第四高校は、まだ新しく、校庭に植えてある木も、移植したばかりです。また、構内の一部は、まだ拡張工事中です。次に再び来ることがあるとしたら、この木々は大きくなっているでしょうか。
杭州第四高校では、玄関を入った途端、何メートルもあるような大きな電光掲示板、そして、そこには「熱烈歓迎」の文字。こんな大きな電光掲示板は初めて見るもので、我々の顔も、ついにやけてしまいました。
実験室で準備を終えた後は、寇副校長、担当の徐先生らと打ち合わせ。先日の浙江工商大学では、基本的に教員は英語が使えるために苦労はしませんでしたが、日本も同じなのですが、高校では、英語を使える教員は少ないようです。ここでは、シン教授と洪さんの手助けで、通訳を通じての打ち合わせとなりました。9月の国際シンポジウム「プロテインアイランド?イン?松山」に参加したときの記事が載った「タウン情報松山」を見て、先生方は、歓声を上げられていました。
その後、教職員用の食堂で、他の教職員の方々と一緒に昼食をいただきました。その帰り、これから昼食に向かうたくさんの生徒たちとすれ違いましたが、杭州第四高校は、寮制であることもあり、その何人かが、恥ずかしそうにしながらも礼儀正しく笑顔で会釈してくれたことも、実にいい印象として残っています。
杭州第四高校での実験は、基本的には前日と同じものです。生徒は約40人。9月に国際シンポジウムに参加し、また、松山南高等学校との交流で徐先生と一緒に松山を訪れたことのある先輩数人も、手助けにかけつけてくれています。しかし、何と言ってもまだ高校生。昨日と同じように英語で授業しても、本当に高校生に理解できるのか、それが気になっていました。
しかし、その心配は、授業開始直後に消え去りました。林教授の始めの挨拶でのI hear from your teacher you are very good at English. And the only Chinese words I know is「シェイシェイ(ありがとう)」and「ニイハオ(こんにちは)」. に、高校生たちが一瞬で大爆笑。彼らは、高校生ながら、英語を中国語に置き換えて理解するのでなく、英語を英語で理解しているようでした。
午後1時から昨日と同様の実験を行い、休憩時間になると、2人の女子生徒が林教授に質問に来ました。もちろん、やり取りは英語で行われました。言いたいことが十分には話せない英語での質問と理解を納得いくまで繰り返していました。
実験が終わってからも、別の生徒がまた質問。林教授が黒板に図解しての、もはや議論とも言える質疑応答に脱帽しました。一方、高井准教授も、何人もの生徒に取り囲まれて質問攻め。名門の進学校とはいえ、ここまで熱心な高校生が日本にいるでしょうか。日本でよくありがちな「質問することは恥ずかしいこと」という間違った風潮は、少なくとも杭州第四高校では、関係ないようでした。
午後4時、この日も、少し時間が足りなくて、緑に光るはずのタンパク質は、あまり強くは光りませんでした。しかし、世界の最先端を行く研究の一部を自分たちで経験できたことに、どの生徒も満足なようでした。
その後、午前中には留守をされていた於校長に林教授が「今回の訪問は、今年限りの予算ですが、今後も続けていたけたらと思います。」と挨拶。両校の交流は、来年度も続くかもしれません。
おわりに
今回の中国訪問は、我々が中国語がほとんど使えないことに加え、実験道具などの荷物が多いという難点がありました。通常の都市間移動なら、鉄道などでの移動もできたかもしれません。しかし、今回の出張では、特に杭州第四高校は一般の交通機関では行けません。
まず、取材当日の2日間は、先に紹介した洪さんに運転をお願いしました。運転、案内、そして実験の補助まで、大変お世話になりました。上海と杭州との移動は、洪さんの知り合いの運転手さんにお願いしました。高速道路を使っても3時間以上もある両都市間を、わざわざ送り迎えしていただきました。我々を送っていただいた後に帰宅されたため、夜遅くまで運転していただくことになってしまいました。
このように、今回の出張は、このお2人に車で送迎していただかなければ、非常に困難であったかもしれません。そして、忘れてはならないのが、シン教授です。足球即时比分_365体育直播¥球探网の留学生を経験されてから教員となられたシン教授は、日中両国のことについて精通しており、勿論、両国語を母国語のように話されます。前述のとおり、林教授、高井教授、加藤広報室チームリーダーとも中国語は全く話せないため、シン教授の通訳がなければ、食事さえもできなかったかもしれません。お土産を買うときに中国語で値切っていただくこともたいへんお上手で、皆が公私共にお世話になりました。
お世話になった皆様に、すぐに形としてお礼はできませんが、これを機会に中国のことを少しでも理解することができるとしたら、お世話になった皆様も喜んでいただけると思っています。
今回の出張を通じて私が得たことはいろいろあります。まず、中国という国についてです。出発前は、水、トイレ、マナー、物売りその他、ある程度の覚悟を決めておいたほうがいいという情報を得ていました。しかし、実際は、大きなトラブルもなく、無事に取材を終えることができました。但し、今回は、大都市周辺のみであったため、これだけで中国を語ることはできません。機会があれば、もっと別の中国を見てみたいと思っています。
次に、英語の必要性です。中国語ができないことは恥ずかしいことではありませんが、英語は、これからの時代、もはやパソコンが使えることと同じくらい大切なことかもしれません。中国の方が日本語を話せなくても、また、我々が中国語を話せなくても、英語が話せれば問題がないのです。本当に片言しか話せず恥をかいた自分が悔しいとともに、今からでも勉強しなくてはと痛感した次第でした。
そして、何と言っても人との出会いです。この出張がなければ恐らく会うことはなかった中国の各先生方や学生の皆さん、そして、同じ大学にいながら接点のなかった高井准教授、諸田准教授、池准教授。中国の先生方とはもう会うことはないかもしれませんが、私の記憶の中からは消えることはない大切な人となりました。私には、大きな国際交流はできませんが、こうして中国の方々と接点を持つことにより、小さな国際交流には貢献できたと思っています。
今回の実験を行った学生たちが、将来、どういう目標を持っているかはわかりません。今回の実験は、授業の一環としてたまたま受講しただけかもしれません。しかし、彼らにとって、日本から来た大学の教授に、最先端の研究の一部を手取り足取り教わったことは、強い刺激となったとともに、忘れることのできない思い出となることでしょう。これをきっかけにして、彼らの中のわずか1人でも、生命科学に興味を持って将来の研究者となり、足球即时比分_365体育直播¥球探网との接点を持っていただければ、我々としても嬉しい限りです。22日(木)、市内にある名所の西湖を初めて昼間に眺めながら、そんなことを感じました。