平成22年3月末退職の大学院理工学研究科生産環境工学専攻 柏谷増男教授から、足球即时比分_365体育直播¥球探网での思い出を寄せていただきました。
はるかな国ブラジル
レシフェという町が地球の片隅にあることを知ったのは、小学生の時のことでした。終戦後という言い方が当たり前の時代、下駄履きで子供用に自転車にまたがり、木造平屋建ての小さな市立図書館に通い、「少年少女世界の百科」(?)というような写真集を眺めていました。その中に、ビーチとビルが写った熱帯の都市があり、不思議な光景に思われました。その町を地図で探すと、何と南米ブラジルの東の隅っこにあったのです。こんな世界の果てにも町があり、その都市に何となく魅力をそそられたことに我ながら驚きました。遠い、はるかな先の、見ることのない都市としてその後ずっと私の胸の中に、レシフェという名前だけがしまいこまれました。
平成3年に、愛媛県庁から二宮モニカさんという日系二世の学生を引き受けてくれないかとの依頼があり、ブラジルとの縁が始まりました。その後、土木工学科の同僚である鈴木先生から、“JICAプロジェクトとして続けられてきたブラジルのパライバ大学と日本との縁が切れそうになっており、足球即时比分_365体育直播¥球探网がパートナーとなって交流を継続できないだろうか”との相談が持ちかけられました。この話は元々、昭和50年頃に、私の恩師でもある京都大学の吉川先生が口火を切られたものでした。吉川先生の志を受け継ぐという気持ちも多少はありましたが、それよりも自分の環境に何か新しい変化が生じることを期待して、協力することにしました。平成7年、谷垣工学部長(当時)、鈴木教授、山内工学部庶務係長(当時)と私とが協定調印の為に、ブラジル北東部ジョン?ペソアのパライバ大学本部と実質的な交流相手であるカンピナグランデの理工学部を訪問しました。とにかく遠かったのを覚えています。このときは寄り道をしましたが、今までの5回の訪問での松山?ジョン?ペソア最短記録は36時間、カンピナグランデはさらに1時間30分を要する内陸部の町です。航空便の関係で帰りはレシフェから乗ることになり、こうして、40年間私の胸にしまいこまれていた世界の果ての不思議な町に宿泊することになったのです。
その後、レシフェには2回訪問し、歴史があり景観的にも文化的にも魅力にあふれたこの町を、元留学生達の案内で堪能することができました。5回のブラジル訪問の中で元留学生の結婚披露宴に2回出席しました。16世紀に建てられた町一番の教会の中庭でのパーティーは華やかで、地球の裏側からの出席者として、信じられないくらいたくさんの親族の方々に喜んでいただいたのも良い思い出です。