平成27年3月末退職の法文学部総合政策学科 戸澤 健次 教授から大学での思い出を寄せていただきました。
いつの間にか37年
昭和53年4月に助手として採用された時、四国について何も知らなかった私ですが、気づいてみたら、早くも定年退職で、研究者としてずっと松山で過ごしたことになります。学者のモービライゼーションと言って、いくつもの大学を渡り歩くのが通例となりつつある昨今では、化石的存在かもしれませんが、私自身としては、この37年間に自分の所属する法文学部は大きな改組を2度経験しましたし、(現在3度目の大きな改組に直面しています。)在外研究にもしばしば出かけましたので、長期間同じところにずっととどまっていたような気は全くしていません。常に新鮮な気持ちで仕事に取り組んできたと感じています。
私は、研究面では19世以後の近代イギリス政治思想史を専攻し、教育科目としては西洋政治思想史を担当したいと考えていました。とりわけ、守るべき価値を保守しようとするイギリス保守主義に研究対象としての魅力を感じていました。が、研究の過程で、アメリカ政治思想史にも関心を抱くようになり、Intellectual Historyという分野で研究するためにアメリカに留学しました。コロンビア大学では、Eric McKitrick教授とEric Foner教授にみっちりとアメリカ史研究のありかたを学びました。特に私はアメリカ史がアメリカ人によって何度も書き替えられてきたことに驚きを禁じえませんでした。
アメリカでは、急速に進む近代資本主義と大衆民主主義と異なる方向の政治思想を説いたJohn C. Calhounの政治思想の研究に着手しました。カルフーンに関する論文を何本か書きましたが、まだカルフーンの研究が充分にできていません。
イギリスでは、ロンドン?スクール?オブ?エコノミクス(LSE)のSTICERDという研究所で研究し、極東外交史の権威であるIan Nish教授に1年間手ほどきを受けました。森嶋通夫先生が隣室で、イギリス保守主義の解釈をめぐり激論を交わしたことも今は楽しい思い出です。
英米政治思想の研究が不十分のまま、私はまたもや手を広げ、インドの現代政治にも強い関心を持つに至りました。インドに関しては、学術的関心のみでなく、国際交流という観点からも取り組みました。1990年代以降、インド政治の動向に関する論文を書き、インドに学生を引き連れていって交流を重ね、またインド人学生を受け入れて学位を取得させました。そうした努力が今年度足球即时比分_365体育直播¥球探网とネルー大学との学術交流協定として結実したことは喜ばしいことと実感します。
また、インド人の著名な法律家に、インド?中国?日本の3か国がアジアの屋台骨だから、民衆レベルで手をつながなくてはならないと説かれ、民間の友好促進のため、NPO日印友好協会を立ち上げ、その事務局長を引き受け、様々なイベントに参加してきました。
振り返ってみて、本当にあっという間の出来事のような気がしてなりません。あるいはひた走りに走って、周囲が見えていなかったのかもしれません。定年退職で一区切りができますが、まだまだやり残したことが多々ありますので、これで終わりという気は全くしていません。天才は若き日に花開きますが、凡才は長く生き抜いてこそ満足できる成果を上げることができます。今後も蝸牛のごとく営々と努力を重ねたいと念願しています。