平成26年3月末退職の総合科学研究支援センター 高久 武司 技術専門員から大学での思い出を寄せていただきました。
私が、足球即时比分_365体育直播¥球探网に採用されたのは昭和50年4月で、新設されたばかりの医学部でした。当時の医学部は、基礎棟と臨床棟の半分程の建物が完成しただけの状況で、キャンパス内は、工事中で整備もされておらず、横河原駅への帰り道、掘られた穴に落ちて泥だらけになった事も懐かしく思い出されます。
さて、採用当初の私の仕事ですが、工業高校機械科卒という事もあり、医学部の共同研究室に設置された共通の大型研究用設備機器の保守管理ということでしたが、設備機器は新設されたばかりで故障も少なく、学生も一期生が教養課程から医学部キャンパスに移ってきたばかりで、教官の人数も少なく、研究機器の利用頻度も少なかったことから、毎日、時間を持て余す状況でした。
そんな時、ある基礎講座の先生に、集団検診に行くのだけれど、暇だったら手伝ってくれないかと声を掛けて貰いました。その当時は愛媛県も、特に南予地区では、病院も少なく集団検診が地域医療の一役を担っていました。当時の私は、畑違いという事もあり、医療や臨床検査等には余り関心が無かったのですが、集団検診に同行させて貰い様々な人との出会いやふれあいを通じて、段々と医療分野や化学等にも関心を持つ様になってまいりました。昭和51年になると附属病院も開院し、医学部の教官も一気に増員され、それと同時に共同研究室の技術職員も増員され、大型設備機器もより充実されました。私は、分析調製部門の機器を担当する事になり、仕事の内容としては、当初の保守管理から徐々に担当分析機器による機器分析が主体となってまいりました。
そんな時、技術職員として働きながら、研究従事者に登録し、学歴に応じた研究歴を積めば、語学試験(大学院試験)の受験資格を得て、合格すれば博士論文を提出し、審査を受けることが出来るという研究従事者制度が発足いたしました。私は、幸いにもこの研究従事者に登録する機会を得て、ルーチンワークとは別の研究という新たな分野にチャレンジする場をいただき、平成12年には医学博士の学位を取得いたしました。この中で、研究テーマに沿った実験を行い、結果をまとめて学会発表や論文の投稿をするというこの一連の過程の中で、多くの人に出会いご指導いただきました。
もうすぐ定年退職を迎えますが、これまでの大学生活の様々な体験を通して振り返りますと、”人生は、感謝の気持ちを忘れず、夢見て、創造して、実行して、継続する事が大切だ”ということを学んだ様な気がいたします。
最後になりますが、これまで色々と支えご指導いただきました皆様方に、深く感謝を申し上げると共に、今後の足球即时比分_365体育直播¥球探网の発展を心より願っております。
長い間、本当にありがとうございました。