平成21年3月末で定年退職をされる教育学生支援部 徳永平太郎部長から、退職を迎えての思いを寄せていただきました。
?さりげない日常?
退職にあたって学報に寄稿せよ、と命じられてしまいました。光栄なことですが、実は、私は筆不精です。下心や用件もなく、つれづれに何かを書くという行動は、そういった素養のある詩人や文学者でないとできないものと確信しております。ましてや、我が身のことなど気恥ずかしくて、とても書けそうにありません。失敗して笑ってごまかしたことなど迂闊に書くと既成事実が歪みますし、良いことを書くと自画自賛と言われます。それでも、お世話になった皆様に「せめて感謝の言葉を」と力んでも空々しいし、さりげなく、したためる雰囲気では「遺言」になってしまいます。仕事の必要から、直木賞などを取ろうという野心もなく、ただひたすら事務文書を書いてきただけなのであります。しかし、「はい」と言ってしまった以上、書くしか道はありません。述懐すれば、徹夜で寝ても書かなければならないというプレッシャーは相当なものでした。
前置きが長くなりました。これからが本文です。
今もやっているかどうかわかりませんが、「日本一短い手紙」のコンクールというのがありましたね。何年か前に、5歳の子供さんが作ったという「ぼくが大きくなっても、ずっとあそんであげるからね、お父さん」という一文がありました。心の芯まで揺さぶられて、堤防決壊を防ぐのに涙腺が痛くなりました。言葉の力はすごいものです。「日本一短い手紙」には多くの人々が共有できる日常がさりげなく綴られています。ちょっとした日常の思い思いの風景が、あたかも、言葉に包まれると速力が生まれて、共感を伴うと一気に加速するようです。臨界速度に達するや、一直線の光になって胸の奥に突き刺さり、その風景が心に投影された瞬間、「想い」が湧き上がって昇華し、心の容器から溢れ出る。「恨み、妬み、嫉み」も一気に噴出されて、裸の心が見えてくる。新手の高密度プラズマ現象かもしれません。改めて申しますが、言葉の力はすごいものです。日常を表現するこの力は、波動なのか粒子なのか、後は、これらの運動の量子科学的解明を待つばかりです。
ついでに、共感し難い私の日常を発表します。実は、朝のテレビの「今日の運勢」にハマッています。ニュース以外ほとんど見なかった私が、「今日の運勢」で自分の守護星が何番目か、毎朝、一喜一憂しています。今日の主役は誰か、“幸せ”の栄冠、人生の勝利者は誰なのかを、我が家では、毎朝テレビが決めています。呪わしい旋律とともに落伍者に認定されるや、大きいのやら小さいのやら、憐憫の目が12個一点に収束し、笑いながら拡散していきます。出勤前の厳粛な儀式は、平日限定で行われます。日常を形づくるもの、共感する言葉は、意味があってもなくても健やかに暮らせる「幸せ」として感じていたいものです。
還暦という齢を重ね、定年退職を迎えます。42年間の公務員、大学職員生活でしたが、とても幸せでした。ここまで導いてくださった諸先輩と支えていただいた皆様のお一人お一人を思い浮かべながら、お礼やお詫びを申し上げています。弁解を含めると、一生かかるかもしれません。と同時に、今後は、足球即时比分_365体育直播¥球探网ファンの一県民として、私らしい新たな日常を創っていきたいと思っています。
“ありがとうございました”