この授業では、学問とは何かについて、現象学的観点から検討し、その本質を理解します。
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授業内容
今回の授業は、教員1人と学生3人が研究室の机を囲みながら行われました。授業内容は、『現象学は〈思考の原理〉である』(竹田青嗣著:ちくま新書)の輪読で、教員からの指定ページを3人の学生が分担して読んでいきました。それに対して加えられる教員の解説や体験談に、熱心に聞き入る学生の姿からは、学生の興味?関心の深さがうかがえました。
「学問とは何か」というテーマに対し、“世界認識は学問の世界と通じるものがある”という姿勢で授業に臨みます。そして、“共通了解領域”というキーワードが挙げられました。共通了解領域とは、実証可能で誰もが認め得る認識範囲であり、この拡大が学問の目標、また、学問そのものであると教員は強調しました。
15世紀以降現代までの、宗教対立、人権獲得の変遷、自然科学の台頭、資本主義と共産主義の対立などの歴史上の重要ポイントは、信念対立の歴史を表しているといえます。例えば、宗教対立なら「本当の信仰とは何か」と、資本主義と共産主義の対立なら「自由と平等どちらを取るか」という信念対立ということができます。そして、これらの解決策は、お互いの共通了解領域を広げる、つまり、お互いに承認できる範囲を拡大することにあり、まさにこの行動こそが学問の本質であるといえるのです。授業では、歴史と社会背景、さらには、フッサール、カント、ヘーゲルなどの哲学者の思想を踏まえ、研究者の精神を追及していきました。
少人数制の授業のため、教員と学生の距離が近く、学生一人ひとりの疑問点は全体で解決、共有していくことができます。教員の考えにも触れやすく、学生が持つ興味の更なる追及ができる授業でした。
教員からのコメント
研究者の精神とは何か。この授業では、そのような話を西洋哲学小史から始め、解説していきます。 15?16世紀に、自由都市の経済力の台頭を背景とする西欧で生じたカトリックとプロテスタントの信念の対立は、宗教戦争まで引き起こし深刻化しましたが、哲学的には何が正しいのかという認識論の深化へと結びつきます。その中で哲学者フッサールは、個々人の世界観はその生まれ育った経験の中から信憑性を持って形成されてきた領域と、例えば自然科学的事実など全ての人が認めうる共通了解領域とで構成される信憑構造を持つとしました。
それでは、全ての人の世界観が一致することはあり得ないとした上で、信念の対立をどのように解消しようとしたのでしょうか。まず、お互いに承認しあい、その上で共通了解領域を根拠として、ルールに則り対話的理性に基づいて粘り強く合意形成を図ろうと、哲学者ハーバーマスは主張しました。これは市民精神そのものでありますが、いかなる学知をも軽んぜず研究対象に真摯に取り組む個人としての研究者の精神と一致します。この精神を学生に伝えるのが大学の教育であり、また、研究はその深化が人々の相互理解の根拠となる共通了解領域を広げるという重要な役割を担っています。
学生からのコメント
この授業は、先生方の研究室のゼミに参加したり、自然科学に関連した哲学的な本を輪読したり、内容が様々です。共通していることは、将来私たちが研究をする際の参考になるということです。ゼミに参加することで最先端の研究を知ることができ、哲学的な本を読むことで自然科学がどのように発展してきたのか、また、どのように行われるべきなのかを考えることができます。
この授業で得られることは、人によって違うと思います。内容が多岐にわたっているので、どこに注目するか、どこに興味をもつかが異なるからです。しかし、どの内容も共通して、将来研究する際に役立つことばかりなので、この授業はとても有意義なものだと思います。