問いとしての現代美術
※掲載内容は執筆当時のものです。
決して私の思いどおりにならないものと向き合うことをテーマに、時間?空間?物質を素材にして
研究の概要
現代美術という明確な分野があるわけではありません。何をもって現代美術というかは、非常に曖昧であり、とりあえずは同時代に生きている人間の表現といってよいかもしれません。それでは同時代というのは、いつのことか。数年で様変わりする変化が著しい現代ではありますが、私としては、過去100年ぐらいを射程に入れて考えています。それぐらいの期間を射程に入れなければ、時代の表層の向こう側に隠れているものを見極めて、人間が生きることや私たちが属している社会、自然科学も含めたこの世界についての表現が可能にならないと考えます。
また美術という概念自体、厳密な定義はなく、それを見る人やつくる人によって、異なる顔を覗かせます。見る人を穏やかに和ませるもの、豊かな生活のための趣味、経済活性化への一助ともなる文化資源、あるいは、困難を抱えた社会や人々へ送るメッセージの媒介など、様々な側面があります。なかでも私が探究している現代美術は、何かの答えとしてあるものではなく、同時代の人間が生きていくうえで抱く、言葉では語りつくせない問いとしての美術です。言葉に置き換えることができないにもかかわらず、事物としての強度を備えた魅力ある何かとして存在する作品制作をめざしています。それは、作品に意味が無いということとは異なります。見る人がどうしても解釈したくなるような魅力を備えた作品である一方、決して一つの解釈に収まることなく、常にこれは何かと問い続けられる作品。そしてその問いが、私とは誰か、社会とは何処か、この世界とは何か等という問いにつながっていく可能性を探究しています。
研究の特色
鉄?木?紙などの様々な物質を素材にして、彫刻やインスタレーション、ときには平面作品やドゥローイング等の手法で作品を制作しています。作品の素材に関しては、特定の素材に限定するという意識はなく、むしろ、作品のコンセプトに重点をおいてきました。展示空間全体を作品と見なすインスタレーションの作品制作をはじめとして、基本的には、どのような手法であろうと、作品とその周りの空間全体が作品であると捉えています。また美術作品は、通常、永続性を求めるが、それに反して私の作品は例えば錆びた鉄を扱う等、時間とともに変化していくものがあり、作品に時間を導入しているともいえます。
そして、決して私の思いどおりにならないものと、いかに向き合うかということを、作品のテーマとしてきました。この思いどおりにならないものという概念は、私の内面の表現や自己実現のための、都合のよい道具としては扱うことができない〈物質〉。あるいは、私だけの考えの延長では理解できないため、常に対話を繰り返さなければならない〈他者〉のこと等を示しています。
研究の魅力
私たちは、自分が属している社会や組織などの集団で、お互いにものの見方や価値観をある程度共有して生活をしています。そのことは属している集団を安定させて、その構成員の安心で安全な日常を築くには必須のことではあります。一方、私たちの日常にとって何かの答えではなく、問いそのものである美術作品は非日常として存在します。日常のなかに出現した美術作品は、日常と非日常の境界を曖昧にし、私たちの集団が共有している当たり前で疑いもしなかった、ものの見方や価値観を揺り動かすことでしょう。そして、日常の背後に潜んでいるかもしれない、思いどおりにならないものへの抑圧や排除を露呈させ、新しいものの見方や価値観を創造する可能性を宿しています。美術作品という非日常を制作し、この世界に新しく存在させるということは、ただそれだけで、私たちの日常の世界を、ほんのわずかではあるが変革することだといえます。
今後の展望
現在、鉄が錆びることや熱によって変容するという、制作者の思いどおりにならない〈物質〉としての鉄を積極的に導入した、作品制作に取り組んでいます。彫刻?レリーフ?インスタレーション等、多様な手法を試しながら、当面は、鉄の作品の新しい可能性を探究していく予定です。一方長期的には、過去100年ぐらいを射程に入れても、将来については、何が起こるかを厳密に予測できないのと同様に、私の作品がどのように変化していくかも不確定なところがあります。むしろこれからの生活や社会において、何が起こり誰と出会えるか、そしてどのような作品がつくれるかを楽しみにしていきたいと思っています。
この研究を志望する方へのメッセージ
美術といえば、デッサン力をはじめとした技術を身につけることに、大きなハードルを感じている人が多いことでしょう。もちろん技術を習得することは重要ではありますが、もっと大切なことは、この世界への好奇心とそこから生まれる美術へのモチベーションです。こんな絵を描きたい、あんな作品をつくりたい、あるいは、何かわからないがとにかく表現したいという漠然としたモチベーションでもかまいません(具体的で明快なモチベーションを持つことは稀です)。そしてそのモチベーションを、維持していけるかどうかにかかっています。
また、当たり前だと思っているものの見方や、自分が属している集団の価値観から少し距離をおいて、いつもとは異なる視点で事物を見ることが重要です。そのことこそが、技術の習得よりも現代美術の創造力へ直接つながり、日常におけるものの見方や価値観をさらに揺り動かして、新しい何かを生み出すことでしょう。