遺伝学とゲノミクスをフィールドと研究室で活用し、マラリアと闘う
※掲載内容は執筆当時のものです。
マラリア撲滅
研究の概要
毎年マラリアで60万人以上が亡くなっています。これは松山市の全人口よりも多い数字です。 毎年です!これらの死亡者の大部分はアフリカに住む5歳未満の子供ですが、熱帯のほとんどの地域にマラリアに感染するリスクがあります。日本や英国などの温帯諸国でもかつてマラリアが見られましたが、現在では日英をはじめとする多くの先進国の温帯地域でマラリアは撲滅されています。
この病気は、ハマダラ蚊によって媒介される、マラリア原虫と呼ばれる小さな単細胞の寄生虫(原虫)によって引き起こされます。マラリア原虫は蚊やヒトなど、宿主の異なる細胞内で生活する複雑なライフサイクルを持っています。ヒトがマラリアに感染すると、マラリア原虫が赤血球に侵入してその中のヘモグロビンを餌にして増殖するため、赤血球が失われ貧血になります。また、マラリア原虫は侵入した赤血球の表面を変化させて血管内壁に接着するため、感染した赤血球により毛細血管が閉塞し、臓器に深刻な損傷が生じて死に至る可能性があります。
ハマダラ蚊に咬まれるとマラリア感染が起きます①。ハマダラ蚊の唾液腺からマラリア原虫スポロゾイトが宿主の血流に入り、肝臓に移動します。スポロゾイトは肝細胞に感染し、そこで増殖してメロゾイトになり、肝細胞を破裂させ、血流に戻ります②。メロゾイトは赤血球に感染し、そこで輪状体、栄養体、分裂体に成長し、さらにメロゾイトが産生されます③。血中では生殖母体 (配偶子)も産生され④、吸血で蚊の中に生殖母体が取り込まれると⑤、蚊の腸内で配偶子へと成熟します。オスとメスの配偶子は接合し⑥、オーシストとして中腸壁を通過することができる運動性を持つオオキネートを形成します⑦。その後オーシストとなり、唾液腺に移動してスポロゾイトとなり 、次の宿主へと感染していきます。
Bbkkk、CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>
ウィキメディアコモンズより
マラリアに対して何ができるのか?
マラリアは、理論的には予防と治療が可能な病気です。体内のマラリア原虫を殺すことができる薬があり、蚊が人を刺すのを防ぐこともできます。にもかかわらず、マラリアは依然として世界の子供たちの殺人生物ナンバーワンです。問題は、薬剤が比較的高価であり、効果を発揮するためにはマラリアの症状が最初に現れた直後に投与しなければならないことです。熱帯地域の多くのへき地では、迅速な診断と治療が非常に困難です。また、マラリア原虫は遺伝子変異により、現在使用している薬剤に耐性を持つようになります。薬剤耐性はマラリアの制御にとって非常に深刻な問題であり、研究者はマラリア原虫を打ち負かすために頻繁に新薬を考え出さなければなりません。また、人々が蚊に刺されるのを防ぐことも非常に困難です。さらに、蚊を殺すために使用する殺虫剤に対して蚊は耐性を持つようになります。これらの困難な状況を克服するためにも、我々はマラリアの診断、予防、治療のための新しいツールを開発していかねばなりません。
分子寄生虫学講座での取組
● マラリアのワクチン開発
マラリアのような病気と戦う最善の方法は、人々が病気になるのを防ぐワクチンを開発することです。マラリアにはすでに2種類のワクチンがありますが、我々が期待するほどの効果が無いため、より効果的な新しいワクチンを開発することが非常に重要です。新しいワクチンを作るためには、マラリア原虫のどの部分に抗体を作るのに最適か、つまりマラリア原虫を殺す抗体を見つける必要があります。私たちは、マラリア原虫に特異的なタンパク質に対する抗体を見つけるために、遺伝学およびゲノム解析技術を使用しています。主にマラリアの齧歯類(マウス)モデルで行われ、遺伝的連鎖解析や順/逆遺伝学的な解析法を用います。例えば、下の図では、マラリア原虫(Aタイプ)に対して免疫を持たせたマウスに、Aタイプのマラリア原虫と別のマラリア原虫(Bタイプ)を交雑させたマラリア原虫を感染させました。これにより、免疫されたマウスの抗体が攻撃しているマラリア原虫のタンパク質が発見できます。なぜなら、Aタイプのマラリア原虫タンパク質が免疫マウスには見られないからです。これらのタンパク質は、新しいワクチンの開発のためのターゲットとなります!
ワクチン設計のもう一つのアプローチは、マラリアを引き起こさないマラリア原虫を作り、それを使って人々に免疫することです。このタイプのワクチンは、弱毒化ワクチンと呼ばれ、ポリオ、はしか、黄熱病など、さまざまな病気から人々を守るために使用される最も一般的なものです。私たちは、赤血球に感染できないマラリア原虫を作製することでマラリアに対するワクチンを開発しています。うまくいけば、これらのマラリア原虫を人々に接種することで、重症となるマラリアの発症を回避できるでしょう。
● マラリアの基礎研究
マラリアに打ち勝つためには、マラリアの原因となるマラリア原虫についてできるだけ多くのことを知る必要があります。つまり「汝の敵を知れ」です。 マラリア原虫がどのようにして細胞に侵入し、細胞を改変し、細胞内で成長するのかについては、まだわかっていないことがたくさんあります。私たちは、遺伝子の働きを見出すために、遺伝子を選び、その働きを止め、マラリア原虫がどのように変化するのか調査しています。現在、マラリア原虫がどのようにして赤血球に感染するのか、またどのように蚊に感染するのかを調べています。
● 研究室から出て…森の中へ!
研究室の中だけではなく、マラリア流行地のフィールド研究もマラリア研究にとって非常に重要です。マラリアがどのように人から人へ広がり、どのような要因がこれに影響を与えるのか理解することが必要です。例えば、現在、東南アジアの一部の国では、人獣共通感染症となるサルマラリアという大きな問題があります。人獣共通感染症とは、動物からヒトに感染する病気です。マレーシア領ボルネオでは、森に住むサルがマラリア原虫の一種に感染しており、時にはヒトにも感染することがあります。パーム油、ゴム農園、伐採のために自然林が伐採されるにつれて、サルは自然環境を失い、ヒトも住んでいる場所に避難所を求めています。これにより、ヒトとサルが近づき、環境変化により蚊の理想的な繁殖地も生まれます。まさにマラリアの嵐。現在、マレーシアのサバ大学の研究者と協力して、サルマラリアの患者数を減らし、病気の蔓延を抑制しています。私たちは、なぜ一部のマラリア原虫が宿主間を飛び越えることができ、他のマラリア原虫が飛び越えられないのかを理解するために、この地域のサルやヒトに感染しているマラリア原虫の調査を行っています。
ヒトがサルマラリア原虫に感染した場合、適切な治療ができるように、迅速な診断を受けることが重要です。しかし、現在、サルマラリア原虫に対する優れた診断検査はありません。このニーズに対応するため、私たちはマレーシアのサバ大学のパートナーと協力して、サルマラリアに特化した迅速診断検査に基づく新しい診断法を開発しています。そのために、私たちは研究室でヒトの血液にサルマラリア原虫を感染させ、そこから興味深いマラリア原虫のタンパク質を抽出しています。
また? 、前述したように、マラリア原虫の薬剤耐性の問題にも取り組んでいます。マラリア患者から血液サンプルを採取し、薬剤耐性を制御することが知られている特定の遺伝子変異を探すことにより、薬剤耐性マラリア原虫を調べることができます。これにより、特定の抗マラリア薬が特定の国や地域でどの程度の効果があるかを知ることができます。
研究の特色
分子寄生虫学講座は、日本有数のマラリア研究室です。強力な国際協力ネットワークと日本を代表するマラリア研究者を擁し、遺伝学、ゲノミクス、系統発生学、疫学、細胞生物学、免疫学、動物学、進化生物学など、マラリア学の多様な側面に関する質の高い研究論文を一貫して発表しています。本講座では、ハマダラカへの感染段階を調べるのに適したハマダラカ飼育施設、ヒトのマラリア原虫を培養するための培養施設、げっ歯類のマラリア原虫を用いた遺伝学的研究のためのマウス飼育施設を備えています。また、私たちの講座には、げっ歯類のマラリア原虫の実験室分離株の世界最大のコレクションもあります。以上のこれらのシステムにより、私たちはどんな難しいマラリア研究にも対応できます。
この研究を志望する方へのメッセージ
人間として、私たちには互いに助け合う道徳的義務があります。日本がマラリアに罹患していないとはいえ、罹患した人々とパートナーシップを組み、問題解決に貢献していくことは、私たちの責務です。ここ分子寄生虫学講座では、この潜行性の病気に打ち勝つための新しい解決策を見つけることに取り組んでいます。私たちの理念は「役立つ科学」です。これを実践することで科学者のみならず、人類に貢献する結果を生み出します。私たちは、メンバー全員が自分の興味を追求し、集団に対してできる限りの貢献ができる、楽しく受容的な研究環境を備えています。もっと詳しく知りたい方は、ぜひ当講座を見に来てください。