複数の環境要因を加味した化学物質の影響評価を目指して

 中山先生我々人類は多くの化学物質を作りだし、それらの恩恵を受けて現代的な生活を送っています。使用された化学物質の一部は、最終的には環境中に放出され、そこに生息する生物に悪影響を及ぼすことがあります。このような化学物質のリスクを評価するためには、それぞれの化学物質がもつ有害性=ハザードを把握することが重要です。
 しかしながら、化学物質の化学的特性は多様で、それらの生物体内での動態や作用は物質によって大きく異なるため、ハザードの特定は必ずしも容易ではありません。加えて、環境中には様々な化学物質が同時に存在し、生物がそれらの混合物に暴露されている事実を踏まえると、複合的な影響も考慮する必要があります。
 そこで、我々の研究室では、オミックスという解析手法を取り入れ、水生生物を対象に化学物質の暴露を受けた際の生体内分子の変化を網羅的に捉え、その影響および作用機序の解明に取り組んでいます。
図1.マイクロアレイ(上)と遺伝子発現解析から明らかになったウイルス感染に対する免疫応答への重油の影響(下)

図1.マイクロアレイ(上)と遺伝子発現解析から明らかになったウイルス感染に対する免疫応答への重油の影響(下)

 

研究の特色

 オミックス(-omics)とは、遺伝子やタンパク質、代謝物などの生体内分子の網羅的な解析のことで、例えば遺伝子(gene)を対象とする場合、ゲノミクス(genomics)と呼ばれます。この遺伝子の発現量を網羅的に解析するマイクロアレイ技術を用いて、化学物質の暴露に対して生物がどのように応答しているかを知ることができます。
 一例を挙げると、船舶事故等で海洋への流出が生じる重油をヒラメに暴露すると、造血?リンパ組織が多くを占める頭腎において免疫系関連遺伝子群の発現量が顕著に減少し、重油暴露が免疫系を抑制することを明らかにしました。さらに、ウイルス性出血性敗血症ウイルス(VHSV)に感染させたヒラメに重油を暴露したところ、VHSV感染による斃死率は重油暴露によって飛躍的に上昇し、その原因は本来誘導されるべき抗ウイルス活性が重油の存在下では十分に活性化せず、ウイルスの複製を抑制できなかったためであることを示しました。
 上述の一連の研究では、発現量が変化する遺伝子群を俯瞰した、すなわちマイクロアレイを用いたことが、ウイルス感染時に活性化する生体内システムを特定し、同システムの活性化の阻害が生じていることを発見することに繋がったと言えます。
 同じ手法を用いて、メダカの雌雄間で発現量の異なる遺伝子群を抽出し、オス型とメス型のパターンの特徴づけをした上で、PCBsを暴露したオスではオス型とメス型の中間的な遺伝子発現パターンを示すことも明らかにしています。

研究の魅力

 オミックスでは数千?数万もの生体内分子の量(コピー数あるいは濃度)をデータとして扱います。これらは生データでは単なる数値の羅列に過ぎませんが、ある角度から見た場合に、生物学的にとても理にかなった生物の応答として見えてくることがあります。試行錯誤を重ね、これまで見えていなかったことが見えてきた時には、言い様のない感動を味わうことが出来ます。
 この数年の間に次世代シーケンサーが広く使われるようになり、ゲノムデータの取得は容易になりました。そのため、データベースへの登録データ量は爆発的に増加しています。今後はこれらの膨大なデータを正しく解釈する能力が必要となってきます。データ解析の難易度が上がった分、新たな発見にはグッと近づくかもしれません。

研究の展望

 従来、化学物質のハザードを解明するには、化学物質の暴露のみを行った条件下で、生物への影響を観察する手法がとられてきました。この方法には、環境要因の変化(ストレッサー)に対する応答への化学物質の作用という視点が欠落しています。上述の研究例で言えば、「病原体の侵入」というストレッサーに対する応答が化学物質によって悪影響を受けたことが解明された訳ですが、これは従来法では証明できません。今後は、ストレッサーとなる環境要因と化学物質暴露との相互作用について調査することで、これまでは見えなかった化学物質のハザードを明らかにする必要があります。

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図2.ストレッサーへの応答に対して化学物質はどのように影響するのか?

 

この研究を志望する方へ

サンプリング

サンプリング風景

 化学物質のリスクを正しく評価することは、その恩恵を受けている我々人類の責務です。新規の影響評価法の構築やハザードの同定は、環境政策に貢献することにもなります。また、環境ホルモンが問題となって以降、内分泌学の研究者との共同研究が加速したように、環境毒性学は異分野との共同研究によって深化していきます。様々な分野との協働に取り組む気概のある方の当分野への志望を歓迎します。