植物細胞での超微量分子情報計測
※掲載内容は執筆当時のものです。
栽培中の植物を破壊することなく、細胞1個から分子を探り、食料生産の自動化を目指す
十分な食料の確保は我国のみでなく、世界中が望んでいることです。日本のように国土が狭く、農業人口の高齢化が進んでいる状態では、植物工場での効率の良い、自動化された栽培システムの構築が望まれています。この研
究分野は、作物を非破壊状態および細胞1個レベルで質量分析を行うことで分子情報を計測し、計測された分子情報を基に作物栽培環境を制御する方法により、作物栽培、収穫物の貯蔵を自動化することにより食料の安定供給を目指しています。
研究の特色
質量分析計は、高真空で気体として電荷を持った分子量関連イオンを電場、磁場などの環境下で、質量の差によって分子を見分け、性能が高い演算能力を持ったコンピュータを用いることで短時間のうちに質量数をスペクトル表示する計測器です。 質量分析計は精製されたサンプルの分析を行うのが一般的な使用方法です。しかしながら、この研究では、前処理なしにそのままサンプルを分析する質量分析であることが特色です。サンプルはプレッシャープローブとよぶ小さなガラス管に圧力センサーが備わった計測器で1細胞から取り出します。細胞溶液はカーボンナノチューブなどの紫外線レーザーの波長を吸収するマトリックスとよばれる物質と混合し、質量分析計の中でレーザー照射します。レーザーの光エネルギーはマトリックスを介して細胞分子に吸収され、分子が壊れることなくイオン化した気体イオンとなり、加速され、飛行時間を計測することで質量が決定されます。研究の一部としてイオン化を誘導させるマトリックス物質を開発しています。
新しい方法として先のとがった針を使い、針の先に分子を吸着させ、針に高電圧をかけることで誘導させるイオン化があり、できるだけ小さな先端の針を使ってイオン化させる方法の研究をしています。このイオン化のことを探針エレクトロスプレーイオン化とよびます。針の直径は1ミクロン(10?6m)の百分の一の大きさです。針の性質が異なると、異なった分子を吸着させることが可能となり、新しい分析法として注目されています。
研究の魅力
質量分析は、生物学を量子力学、量子化学、熱力学と結びつける学問分野です。細胞の表面にある分子が、光のエネルギーをもらったとき、壊れることなく気体としてイオン化し、電場を与えると飛行します。精度を上げていくと、飛んでいる大きな分子でも光のような干渉作用が現れることも知られるようになりました。飛行時間を計ると、時間とは何なのか疑問もわいてきます。物理で扱う素粒子の世界が生物学にも入ってきました。細胞が生きている状態と死んでいる状態の違いが見えてくるかもしれません。
研究の展望
これまでの農業は、農家の経験に頼ることが多く、農業とは経験と努力で生産があがると考えられておりました。日本の工業には、早くから科学的な知識が導入され技術力を高め、世界で最先端の製品を作ることができるまでになっております。工業の影響で、農業機械はそれなりに発展してきたと思われるのですが、作物栽培と機械の間は人間の勘と経験によってつながれていたような気がします。しかし、農家人口の減少と高齢化は勘と経験の世界に限界を突きつけております。作物は生物なのですが、機械は生物を理解することはできません。作物を生物学的な学問の体系に組み入れ、植物生理代謝を分子変化として認識し、機械に理解できる物理的な信号に翻訳してやる必要があります。こうすることにより、作物栽培の完全自動化が達成できると思われます。細胞の分子情報は、種、苗、大きくなった作物体、収穫物と連続して捉えることができ、栽培するときの管理、収穫した後の貯蔵の管理に役立ちます。栽培管理と収穫物の貯蔵を自動化することで食料の安定供給が約束できるでしょう。
この研究を志望する方へ
生物を研究するためには、生物の本に書いていることを勉強して暗記しても十分とはいえません。大学入試には役に立っても、研究に役に立つといえないのが現状です。物質は分子の集合なのですが、現在は分子を構成する原子の同位体の割合も簡単に区別することができるほど分析技術が向上しています。さらに、分子に電子(=電荷を持つレプトン)が付加したのか、離れたのかの差も計測できるようになりました。研究を理解するためには物理学と数学の学習を欠かすことができません。物理と数学の勉強をやめたとき、「科学研究」につながるドアが閉まる音「ギッギッギッギー」が遠くから聞こえてくるのではないでしょうか。