環境汚染物質と野生生物
※掲載内容は執筆当時のものです。
環境汚染物質のリスクをどのように評価するか?
多様な野生生物や実験動物を対象とし、環境汚染物質による毒性影響の解明やリスクの評価を目指して研究に取り組んでいます。人間活動に伴って放出される化学物質の環境影響を評価しようと世界各地で様々な試みがおこなわれています。しかしながら、化学物質が野生生物へ及ぼす影響については、適切な評価法がまだ研究途上にあり、科学的な根拠を基に評価されていない場合が多々あります。例えば、化学物質が環境や生物体内に存在しているからといって、それが悪影響に結びつくとは一概には言えません。生物に影響が生じているかどうかを判断するためには、まず化学物質の暴露量と生物体内にみられる変化の関係を調べる必要があります。
一方、それぞれの生物種の外見が違うことからも理解できるように、体の構造や仕組み、さらには生命の設計図である遺伝子も生物種間で異なっています。この遺伝子の違いが化学物質に対する反応や影響の生物種差と関係すると考えられています。それぞれの生物種が化学物質に反応する働きを感受性と呼びます。実際に化学物質に対する感受性には生物種差があることが知られており、どの生物が化学物質に敏感?鈍感に反応するかを把握することも重要です。そこで私たちは化学物質による野生生物への影響の評価法を開発し、それをリスク軽減のために役立てたいと考えています。
研究の特色
現在は次に挙げる三つのテーマに取り組んでいます。
1. シトクロムP450 を指標とした化学物質の暴露?蓄積および毒性影響の評価
ダイオキシン類やPCB?DDTなど難分解性有機汚染物質(POPs)は、生態系へ移行すると食物連鎖を介して栄養段階高次の水棲哺乳類や魚食性鳥類へ高濃縮されていきます。これに対し、生物はPOPsを含む化学物質の侵入に対して、それらを代謝?排泄しようとする能力を備えています。シトクロムP450(CYP)はこうした役割を担う酵素で、異物代謝酵素の一種です。この異物代謝酵素には数多くの種類(分子種)が存在します。生物は化学物質が体内に侵入してくると、その毒性を軽減するため、化学物質の種類に応じて特定のCYP分子種の量を増やし、それらを代謝?排泄しようとします。このようにCYP分子種の量が増える現象を誘導といいます。
一方、CYPは化学物質の代謝のほか、ステロイドホルモンや胆汁酸など生物が本来持っている内在性物質の合成?代謝にも関与することが知られています。したがって、生物がPOPsのような分解されにくい化学物質の暴露を慢性的に受けるとすれば、CYPが継続的に誘導され、内因性物質が果たす本来の生理的役割を攪乱してしまうと予想されます。私たちはCYP分子種が化学物質暴露や毒性影響の指標になると考え、野生生物を対象に化学物質の暴露量(あるいは体内蓄積量)とCYP誘導との関係について調査しています。また、野生生物のCYPが化学物質や内在性物質を代謝する能力の種差についても研究しています。
2. 毒性影響の感受性を決定する分子的な仕組みの解明
お酒を同じように飲んでも、何杯も飲める人とすぐに酔ってしまう人がいるように、アルコールに対する反応に個人差があることはよく知られています。同じように、化学物質による毒性影響は、実験動物種間あるいは系統間でさえ、大きく異なります。この種間差を説明する一要因として、化学物質の体内侵入時にセンサーのような役割をする「受容体」と呼ばれるタンパク質の遺伝情報をコードする遺伝子の差が考えられています。しかしながら、受容体の働きを様々な生物種間で比較?解析した例は極めて少ないのが現状です。従来の研究ではネズミなどの実験動物を用いて他生物種への影響が評価されてきましたが、こうした実験動物での生体反応が個々の野生生物種に適用できるかどうかは、ほとんど検討されてきませんでした。こうした問題を解決するためには、受容体の遺伝情報およびその化学物質との相互作用について、系統学的あるいは生態学的に重要な生物に着目し、その種差を比較?解析することが不可欠です。私たちは、多様な生物種の受容体の遺伝的差異が化学物質に対する感受性にどう影響するのかについて研究しています。化学物質に対する鈍感種?敏感種を体系的に比較すれば、感受性を決定する分子的な仕組みの解明も可能になると考えています。私たちの最近の研究によって、アザラシやニワトリはダイオキシン類に敏感な種であることがわかってきました。
3. 化学物質による情報ネットワーク攪乱の包括的モニタリング
生物は細胞同士あるいは細胞内で情報のネットワークを築き、多くの情報のやりとりをして生命を維持しています。この情報のやりとりは遺伝子やタンパク質の働きを変動させることでおこないます。生物は化学物質が体内に侵入すると、多様な遺伝子やタンパク質の働きを変動させながら、化学物質に反応します。上で記載したCYPの誘導もこの反応の一種です。このことは、個々の遺伝子?タンパク質の働きを監視して化学物質による情報ネットワークの攪乱の状況を調べれば、それらが制御している生理機能への影響について評価できることを意味しています。
しかしながら、生物で化学物質曝露に反応する遺伝子?タンパク質は現在でも数多く知られているわけではありません。そこで私たちは、ジェノミクスやプロテオミクスと呼ばれる研究手法を使って、化学物質曝露に反応する実験動物や野生生物の遺伝子?タンパク質を包括的に監視する系の確立を目指しています。さらに、化学物質曝露に伴って変動する新規の遺伝子?タンパク質を発見することができれば、それらの生理機能を解析することにより、生体に起こる影響を知ることもできるでしょう。逆に、それら遺伝子?タンパク質の働きを監視することにより、未知の環境汚染物質の発見も期待できます。
研究の魅力
アミ?魚?カエル?鳥?マウス?アザラシ?クジラ?ヒトなど。私たちの研究対象とする生物は非常に多岐にわたります。医学や獣医学を学べる大学は国内でも数多くあります。ヒトはもちろんですが、ニワトリやウシ?ブタといった家畜類は、何か影響が見られれば、私たちの生活に深く結びついているので、そこで研究は進みます。
一方で、カラスやアザラシなどの野生生物は、生活に直接?密接に関係しているわけではないので、研究対象とする研究者や研究機関も少ないのが実情です。しかし、そうした生物を軽視していいかというと、決してそうではなく、生態系というのは多くの生物種が相互に影響を及ぼしあって生活しているので、どの生物種も重要な構成員です。
私が所属している沿岸環境科学研究センターには生物環境試料バンク(通称es-BANK)があり、そこには世界中から集めた数多くの野生生物の組織や遺伝子が試料として保管されています。
それらを利用することによって、また化学?生化学?分子生物学的な手法を駆使することによって、世界的に見ても非常にユニークな研究が展開できています。そうした研究ができるのは、私たちの研究室の特徴であり、魅力になっているのではないかと思います。
研究の展望
これまでの化学物質に対する影響やリスクの研究は、ほとんどがネズミを使い、それらに影響が見られれば人や他の生物にも影響が及ぶだろうという大雑把な仮定が必要でした。ところが、いくつか野生生物を調べていくと、影響が生じる様式や感受性は、ネズミとそれ以外の生物では違うことがわかってきました。そうなると、特定の生物種への影響を調べるなら、やはりその種を対象にして調べた方がいいとなるわけです。そういった意味で、今後もいろいろな野生生物を対象に研究を進めていく必要性は十分にあります。その過程で「違い」を生み出している普遍的なルールを発見できるのではと期待しています。
生態系にはいろいろな生物が共存していますが、その全ての生物種を調べることはできません。そこで感受性を決めている普遍的なルールを明らかにし、何か特定の要因に焦点を絞ることができれば、それを簡便かつ迅速に調べ、感受性を瞬時に判定することが可能になるでしょう。最も感受性の高い生物を集中的に監視してやることによって、敏感な生物のリスクさえ評価してやれば、鈍感な生物のリスクはより低いと判断できるわけです。
この研究成果は、より安全な化学物質の開発にも応用できます。そうすることで生態系でのリスクを低減し、地球環境を保全する道筋がつけられればと考えています。
この研究を志望する方へ
私の研究室では、環境毒性学分野の先端研究に挑戦したいという学生?研究員を募集しています。専門的な知識?技能の習得はもちろんですが、化学物質の問題は国境を超えて取り組む必要があります。
ですから、研究室のメンバーには、国際社会で活躍できる力、すなわち
1)年齢?性?人種に関わりなく多様な人とコミュニケーションする力
2)協力して未解決の課題に取り組む力
3)地域や国際社会で自ら主体となって活動する力
を身につけて欲しいというのが私の希望です。そのためのお手伝いを私はします。このような信条に共感していただける方の参加を歓迎いたします。
私たちの研究室の活動内容についてさらに詳しく知りたい方は以下のサイトを御覧ください。