細胞の栄養応答メカニズム解明に向けて
※掲載内容は執筆当時のものです。
酵母をモデル系として生命の仕組みを明らかにする
研究の概要
アミノ酸はタンパク質の原料や様々な代謝産物の前駆体となる、生命活動に必須の栄養素です。そのため細胞内の遊離アミノ酸量を感知し、適正な量にコントロールすることは、全ての細胞の生存や成長にとって重要な課題です。細胞内にはアミノ酸センサーとして働くタンパク質が存在し、複数のタンパク質を介してシグナルをTORC1(Target of Rapamycin Complex 1)へと伝達します。TORC1は細胞内の栄養源に応答して細胞成長を促進したり抑制したりするタンパク質リン酸化酵素複合体です。これにより、アミノ酸代謝や細胞外からのアミノ酸取込み量を調節し、細胞内のアミノ酸量を厳密にコントロールしています。
最近、このアミノ酸感知の仕組みに、酸性オルガネラである液胞(動物細胞ではリソソーム)が関わることが分かってきました。酵母の液胞は、周囲の栄養状況に応じてアミノ酸を出し入れする「アミノ酸貯蔵庫」として働きます。栄養豊富な環境で生育している酵母は、遊離アミノ酸を積極的に液胞へ取込み貯蔵します。一方で栄養飢餓に陥ると、タンパク質分解機構であるオートファジーを誘導し、自身のオルガネラやタンパク質を液胞へ運んで分解し、生成したアミノ酸を液胞外へと排出することで、新規タンパク質合成へのリサイクルを可能にします。このような液胞内外へのアミノ酸の輸送は、液胞膜に存在する複数の膜タンパク質(トランスポーター)により行われています。液胞内アミノ酸量は細胞全体のアミノ酸量を大きく左右するため、液胞アミノ酸トランスポーターの活性は栄養条件に応じて厳密に調節されていると考えられますが、そのメカニズムやTORC1シグナルとの関わりには不明な点が多く残されています。私達の研究室では、酵母を研究対象とし、アミノ酸感知における液胞および液胞アミノ酸トランスポーターの機能を明らかにしようとしています(図1)(写真1)。
(図1:酵母液胞膜を介したアミノ酸輸送)栄養豊富条件で貯蔵されている液胞内のアミノ酸は、飢餓条件においてオートファジーにより生じるアミノ酸と共にサイトゾルへ排出され、タンパク質合成にリサイクルされる。このような液胞膜を介したアミノ酸輸送は、液胞膜に存在するアミノ酸トランスポーターにより行われる。
(写真1)液胞アミノ酸トランスポーターの顕微鏡画像。赤が特異的な色素を用いて染色した液胞膜、緑がGFP(緑色蛍光タンパク質)を融合させたアミノ酸トランスポーターを示す。アミノ酸トランスポーターが液胞膜に存在していることが分かる。
研究の特色
私達はアミノ酸トランスポーターがどのようにはたらいているのか、その装置内部の仕組みを明らかにするという生化学的視点と、それぞれのアミノ酸トランスポーターの機能がどのように調節、統合されて、アミノ酸を感知するという生命活動につながっているのか、という分子細胞生物学的視点の両方から研究を進めています。
多くのタンパク質が関与する生命現象の仕組みを解明するためには、複数の遺伝子を破壊したり、遺伝子に変異を導入したりしてその影響を調べる方法が有効です。この点において酵母は生育が早く、遺伝子工学的実験手法の確立された優れた研究生物です(写真2、3)。また真核生物ですので細胞が生きる仕組みはヒトと共通であり、酵母のTORC1やトランスポーターと類似のタンパク質がヒトの細胞でもはたらいていることが分かっています。酵母を用いた解析により、ヒトにも共通する細胞の栄養応答の仕組みを明らかにすることができると考えています。
研究の魅力
生物の教科書には膨大な量の事項が記載されていますが、その行間には未解明の事実が沢山存在します。また、なぜそのような生命現象が起こるのか?という点についても、実は分かっていない場合が多くあります。分からない事の答えを探す研究は、常に「知らない事」「新しい事」に触れ続けることができる、新鮮な魅力がつまった仕事だと感じています。
今後の展望
TORC1活性は細胞の成長、生存に関わる栄養応答シグナルの中枢であり、ガン細胞の増殖に関わることも知られています。細胞内の不要なタンパク質や有害物質を処理するゴミ箱と思われていた液胞が、このような栄養応答に関わっていることは非常に興味深く、栄養応答シグナルの新たな起点としての液胞機能の解明に向けて研究を進めています。また酵母細胞内のアミノ酸量はお酒などの風味?鮮度を決定づける要素でもあり、アミノ酸シグナルを制御し、液胞に蓄積するアミノ酸の種類/量を操作することは、酵母を利用する食品の品質向上に向けた有効なアプローチともなり得ると考えています。
この研究を志望する方へのメッセージ
パンやお酒の製造に利用されるなど、昔から酵母は私達にとって身近な微生物です。一方で、細胞内の構造や基本的な生命活動は私達ヒトと共通していることから、様々な生命現象の仕組みが酵母を対象とした研究によって明らかにされてきました。酵母は産業的に重要な微生物であるだけでなく、科学を発展させるためのパワフルなツールでもあります。ぜひ一緒に、酵母を使って生命科学研究の一端を覗いてみませんか。