ニワトリの脳内摂食調節機構の解明
※掲載内容は執筆当時のものです。
効率的な家禽生産を目指して
ニワトリは世界で最も多く飼育されている家禽です。ニワトリは用途に応じた品種改良が進められており、鶏卵生産には卵用品種が、鶏肉生産には肉用品種が用いられています。肉用品種の中でもより早く成長できるブロイラーが世界中で利用されています。しかし、ブロイラーはあまりにも早く成長するために脚部の異常や腹水症などの代謝異常が生じることがあり、現在のブロイラー生産において大きな問題になっています。また、ニワトリの体温は41℃程度とヒトよりも高いうえに汗腺がないため、暑さに弱いという特徴があります。ブロイラーは体内の代謝が活発なため体温が上がりやすく、暑熱によって死亡事故が起こることも少なくありません。
これらの問題の中には、ニワトリに与える飼料を制限することで改善するものがあります。すなわち、ブロイラーはより多くの飼料を摂取することで成長速度を高めているのですが、その過剰な摂食行動によって、上記の問題をも引き起こすようになったと考えることができます。しかし、ブロイラーの摂食行動が過剰である原因はおろか、ニワトリの摂食調節機構についてもほとんど明らかにされていません。私達の研究室では、ニワトリの摂食行動がどのように調節されているかを解明することで、より効率的にニワトリを生産することを目標にしています。
研究の特色
脊椎動物の摂食行動は脳によって調節されています。脳には神経細胞によって構成された神経ネットワークが無数に存在しており、摂食調節に関わる神経ネットワークも存在しています。これらの神経ネットワークの活動は、各々の神経細胞が分泌する神経伝達物質と呼ばれる比較的低分子の物質によって調節されています。そこで、私達は摂食調節に関わる神経ネットワークと神経伝達物質に注目して研究を進めています。その結果として、摂食調節に関わる神経伝達物質(摂食調節因子)の候補物質をいくつか特定することができました。
次に、摂食調節因子がブロイラーの過食の原因になっているのではないかと考えました。摂食調節因子には、摂食を促進するもの(摂食促進因子)と摂食を抑制するもの(摂食抑制因子)があります。ブロイラーは他のニワトリよりも多くの飼料を摂取するので、①摂食促進因子の作用が向上している、あるいは②摂食抑制因子の作用が低下している可能性があります。これらの仮説を検証する研究を行ったところ、②が正しい可能性が高いことが明らかになりました。すなわち、ブロイラーでは脳内の摂食抑制因子の作用が弱いことで食欲が旺盛になっている可能性があります。
ニワトリで特定された摂食調節因子には、ラットやマウスなどの齧歯類(哺乳類)と同じものも少なくありません。しかし、摂食調節因子の中には齧歯類とは正反対の作用を示すものもあります。これは、ニワトリ(鳥類)の脳内摂食調節機構が齧歯類(哺乳類)とは異なることを示唆しています。動物にとって、摂食行動が生命維持に欠かせない行動であるにも関わらず、その調節機構が動物種によって異なるという事実は興味深いものです。ニワトリの摂食調節機構の研究を通じて、脊椎動物の摂食行動の進化について調べられるかもしれません。
研究の魅力
動物の行動が脳によって制御されていることは周知の事実ですが、より細かく突き詰めていくと、脳の中にある神経伝達物質によって制御されていることになります。神経伝達物質は動物の行動を支配するだけではなく、およそ脳が制御している全ての生理反応に関わっている、動物にとって重要な生理活性物質です。動物の生命活動が脳内にわずかに存在している物質によって制御されていることは本当に不思議なことだと思います。
これまでにいくつかの脳内摂食調節因子の候補物質を特定するに至りましたが、まだ調査されていないものも少なくありません。そもそも家畜を対象とした研究の中では、神経伝達物質に関する研究は歴史が浅く、ヒトを対象とした研究と比べると未解明なことばかりです。未知の領域に踏み込んで、新しい知見を明らかにしていくことが私達の研究の魅力だと考えています。
研究の展望
ニワトリは小型の家畜で大規模な飼育設備を必ずしも必要としない上、ブタやウシのような宗教による忌避が少ない家畜です。加えて、鶏肉や鶏卵は低カロリーでありながら良質なタンパク質を豊富に含む食料として世界中で重宝されています。その一方で、ニワトリの生産現場では解決が急がれる問題が未だに数多く存在しています。そのうちの一つが生産コストです。日本の場合、ニワトリの生産に掛かるコストの半分が飼料代ですので、飼料の効率的利用が喫緊の課題とされています。私達の研究室では摂食行動のみならず、飼料の消化や吸収した栄養素の利用についても調査しています。これらの観点からの研究を進めることで、より効率的なニワトリの生産を可能にすることが私達の研究の最終目標です。
この研究を志望する方へのメッセージ
私は農学研究科畜産学研究室で教育と研究に携わっています。畜産学というと、家畜の飼育を思い浮かべる人は少なくないと思います。しかし、家畜を飼育するだけではなく、家畜の飼料や繁殖の管理に加え、品種改良、畜舎の設計や管理、畜産物の加工と保存、さらには動物の福祉なども畜産学の研究分野になります。畜産学は様々な分野にまたがる総合科学の一つと言っても過言ではないでしょう。
畜産学の歴史は古いのですが、脳や神経伝達物質に関する研究は比較的新しいものになります。したがって、従来の畜産学の研究と比べると、過去の知見が乏しい上に実験技術が未発達なこともあり、四苦八苦している毎日です。しかし、未解明な部分が多いということは、それだけ新しい発見に出会う機会が多く、やりがいのある研究でもあります。詳しいことが知りたい方は、いつでもご質問ください。