フィールドワークへのいざない
※掲載内容は執筆当時のものです。
対馬での調査を通じて
対馬は韓国から約50kmしか離れていない「国境の島」で、最近は国際交流が盛んな「日韓交流の島」としても知られています。でも、本当にそうなのでしょうか。
私は、生活史(暮らしの移り変わり)の観点から、対馬における「日韓交流」のあり方について、フィールドワークと文献調査を続けてきました。その中で見えてきたものが、マスメディアで報道される内容と現地の人々の考え方とのずれ、そして、現地の人々の中でも地域や職業、年齢などによって様々なずれがあり、その一方で、それらが渾然一体となって現実の暮らしが営まれる姿でした。
研究の特色
民俗学や人類学は、「人間とは何か」という問いかけに対し、「人々の暮らしや物の見方を深く見つめて理解する」ことで答えようとしています。そのための方法として、長期間のフィールドワーク(参与観察)を重視しています。
私の場合、対馬の「首都」というべき厳原(いずはら)で毎年8月に行われている「厳原港まつり対馬アリラン祭」を主として、島内各地で調査を行っています。通い始めてから、すでに10年以上が過ぎました。
従来の対馬研究は、「古いもの」や「田舎」にばかり関心が集まっていました。しかし、対馬は大変大きな島で、最盛期には7万人以上、今も3万人以上が暮らしています。当然、「都市」に相当するような地域も存在しています。そして、「都市」と「村」との間では様々な形で人や物の行き来が行われ、相対的に完結した1つの「系」となっていました。
同じような関係は島内と島外との間でも見られます。対馬は福岡とのつながりが強く、一方、戦前は韓国?釜山との間でも人や物の行き来が行われていました。釜山とのつながりは、敗戦によって一旦断絶しましたが、2000年代に入って旅客航路が復活し、別の形で人や物の行き来が盛んに行われるようになってきています。しかし、多数の韓国人観光客が来島する中で、経済的な「交流」と友好親善を目的とした文化「交流」との間でずれが生じ、さらに、マスメディアの報道によって増幅され、「日韓交流」のあり方、そして、島の将来像について、様々な意見の違いが表面化しています。
このように、「対馬」の中にも多層的で多様な関係があり、日韓交流についても決して一枚岩、というわけではありません。私自身は、その多様で多層的な生活のあり方を、島内の地域間の関係、そして、島内と島外との関係の変遷から読み解こうとしています。
しかし、このような近現代の歴史的な経緯を踏まえた上で、現代の対馬を考えようとする研究はほとんどなく、また、まとまった資料もあまりありません。したがって、近現代を中心にした文献資料の発掘も大事な研究作業になっています。
研究の魅力
人々に混じって実際に体を動かす中で、そして、つきあいが深まる中で初めて見えてくるものがたくさんあります。このような「気づき」の瞬間が最大の魅力の一つでしょう。
一方、フィールドワークの本質が「人と人との付き合い」、つまり、相互の関係である以上、関われば関わるほど新しい謎が生まれてきます。また、人の考え方や暮らしぶりも、そして、自分自身も徐々に変わっていきます。このような「正解が存在しない」曖昧さ?中途半端さがフィールドワークの厄介さでもあり、同時に魅力でもあります。
研究の展望
厳原を中心とした「日韓交流」のあり方については、一定の見通しがついてきました。一方で、対馬全島を対象とした生活史の解明については、まだまだ時間がかかりそうです。
対馬は、良くも悪くも「国境の島」として、島外から様々なまなざしを向けられがちです。それだけに、人々の考え方や社会のあり方も多様で多層なものがあります。それらを総合させ、近現代対馬の生活史を描き出すことが、最終的な目標です。
この研究を志望する方へ
この分野は、長期のフィールドワークを重視します。それは、対象となる社会やそこで暮らす人々を深く理解するためであり、また、人と人との信頼関係(ラポート)を重視するからです。
どんなに一方的に恋い焦がれても、受け入れてくれるかどうかは相手次第でしょう。同様の意味で「フィールドが人を選ぶ」のが、この分野の特徴の一つです。とは言え、恋愛同様、やり方や対象は、人によって様々です。人の営みに興味をもっている人ならば、時間はかかるかも知れませんが、最終的には自分にあったやり方や興味の対象を見つけ出すことができるでしょう。