平成23年3月末退職の教育学部附属特別支援学校高等部 河野眞知子教諭から、足球即时比分_365体育直播¥球探网での思い出を寄せていただきました。
春告げ鳥を待ちながら
昭和51年の4月に、春告げ鳥の声を聞きながら、教育学部附属養護学校に京都教育大附属養護学校より転任しました。教師3年目の私は、なんと当時の教職員の中では一番若かったのです!更に驚くことに、入学式の翌日より教育実習生が学級に配属されていました。まだ子どもの名前も分からない新米教師が、どんなふうにして実習生を指導したのかよくは覚えていませんが、子どもからも実習生からも、日々学んでいたことは確かです。一日一日が新鮮で、翌日の準備をする時も子どもの顔を思い浮かべながら楽しんでできました。実習生ともよく話しました。当時は4月に1週間、7月に2週間、10月に1週間の計4週間が主免生の教育実習期間で、半年間での子どもの変容も良く見えました。
あれからなんと、35年もの歳月が流れ、この3月で定年を迎えることになりました。自分でも、勤務校がたったの2校であることは信じられないほどですが、本校にずっと在職できた幸せを感じています。社会の在りようや学校教育が様変わりして、これからは、こんなに長く一つの学校には勤務できないと思われます。が、それにしても長い35年ですが、今振り返ると短かったようにも思えます。
今のような社会の様変わりは、昔には考えられませんでした。学校教育の基本?教師と子ども、そして保護者間の信頼の上に立つ教育?は、現在では非常に厳しく、困難にさえ思えます。教師の仕事も成果と能率を問われる時代ですから、昔のようなゆとりはありません。しかし、私の所属する教育学部附属特別支援学校は、現在は小学部17人、中学部18人、高等部26人の小規模な学校ですが、小学生から高校生までいて、とても楽しい学校です。生活そのものが教育であるという前提ですので、所属の部が変わると担当児童や生徒が変わり、生活時間帯も変わります。ですから毎年どんな子どもたちと活動できるか楽しみでした。合計すると、小学部で12年、中学部11年、高等部で12年過ごし、そこでいろいろな活動を共にし、「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」の両方を実感しました。
この35年の間に、障害のある子どもの教育は「特殊教育」から「特別支援教育」へ、また、校名も「養護学校」から「特別支援学校」へと変遷してきましたが、この教育をずっと続けられたのは、なんといっても、かけがえのないかわいい子どもたち、いろいろ教えていただいた先輩教員や何でも言い合える仲間のおかげだと感謝しています。それに加えて、保護者の方々は、私にとって自分の子育ての先輩であり、教師でもありました。そしてまた、大学からは有形無形に支援していただき、この場を借りてお礼申し上げます。
年をとるにつれ、社会の変化についていけない自分がいて、さまざまな考え方や価値観を認めながら対応していくしんどさも感じ、いろいろ考えさせられることが多くなってきました。それでも、これからの世の中、障害があってもなくても、若者も年寄りも、分け隔てなく当たり前に暮らしていける、自分に合った場所で、自分のもてる力を使って働きながら暮らしていける、今以上に、そんな世の中になることを願っています。誰もが、みんな一人ひとり違うのですから、その違いを認め、違いに応じた人生が豊かに充実して過ごせるようにと、春告げ鳥(鶯)を待ちながら、微力でも自分のできる範囲でこれからもお手伝いできればと考えている昨今です。
想い新た春告げ鳥の声を待つ 眞知子