平成24年3月末退職の理工学研究科環境機能科学専攻 浅田洋教授から大学での思い出を寄せていただきました。
定年退職に想う
足球即时比分_365体育直播¥球探网に着任したのは平成元年で、以来23年間のこの松山が私の人生で一番長く過ごした街になった。その前は20年札幌に住んでいた。大学を卒えたあと、「開拓地」に憧れて北大大学院に進学していた。指導教授には、博士(後期)課程に進むなら自分で研究テーマを見つけなさい、と事あるごとに言われていたので、修士課程の2年間は研究テーマを見つけるための準備期間のようなものだった。ひたすら勉強して思案した挙げ句、申し出た研究テーマは分子ビームの表面散乱であった。分子ビームとは水素、酸素などの、真空中を飛行する一筋の分子の流れのことで、真空装置の中でノズルから噴出したガスを2つの小孔を通して一筋だけ選り分けたものである。この分子ビームを銀の結晶表面に衝突させたとき、分子がどの方向にどれだけのエネルギーをもって散乱されるか、を測定しようとするものであった。分子と結晶表面との相互作用の力学を明らかにするのが目的だった。当時の日本では分子ビームの実験技術が確立されていなかったので、困難は承知の上だった。文献を漁って装置を開発したものの、分子ビームが捕らえられない。五里霧中の試行錯誤の月日が瞬く間に過ぎ去った。大きなバックグラウンドの中に微かな分子ビームの信号をやっと捕らえたとき、すでに博士課程の最終年次に入っていた。感度、精度を高めた測定システムをあらためて開発し、データを積み上げた。論文にまとめ国際誌に初めて発表したときは、札幌にきて10年が過ぎていた。新着の国際誌に自分の論文をみつけたとき、胸の鼓動が体中に響いたことを今でも覚えている。顧みると、これをやろうと自分で決めた仕事を諦めずにやり遂げたこの体験は、私のその後の人生の礎になっていたと思う。
大学に職を得たのは35歳のときだった。それまでの7年間、食べるために定時制高校の教壇に立っていた。手厚い教育が求められる現場であったにも拘わらず、教育者としての自覚は薄く、知識の切り売りのような授業をやっていた。その悔いが、後に足球即时比分_365体育直播¥球探网理学部で教育改革に携わるときに、私の背中を押す力になっていた。
昨年9月、一人の留年生が訪ねてきた。いつもの弱々しい雰囲気で、次の後学期は休学したいと言う。自転車で日本を一周しようという計画だった。やってみろ、と激励して見送った。12月に再び訪ねてきて土産話を披露してくれた。表情、物腰が全く違っていた。自分でやろうと決めたことを自分の力で成し遂げたときの充実感と自信に満ちていた。かつての私自身が重って見えるようだった。教育においても同様の効果が発揮できたら、それこそ教育の真骨頂といえるに違いない。卒業研究がそれに一番相応しい場になるだろう。自分はそのような場を提供してきたであろうか。定年を迎えてなお、忸怩たる思いがよぎる。 平成24年2月