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HISTORY ?附属高等学校  村上 厚司 主幹教諭?

平成26年3月末退職の附属高等学校 村上 厚司 主幹教諭から大学での思い出を寄せていただきました。

「足球即时比分_365体育直播¥球探网農学部軟式庭球のあゆみ」より

 block_57516_01_M昭和51年春、農学部卒業と同時に附属農業高校に着任し、以来部活動の顧問としてソフトテニス部を任されてきた。初心者であったが、ちょうど『足球即时比分_365体育直播¥球探网農学部教職員軟式庭球クラブ』が発足し、生徒の指導と併せて、自分の技術向上に努めてきた。以下に標記の冊子より抜粋を記し、その歴史と先人たちの思いを知っていただくと共に、ここまで伝えてきてくれたことに感謝したい。そして、自分たちが使うものは自分たちで管理するということを引き継いでいってもらいたい。

<抜粋>昭和23年度、翌年に予定されていた県立松山農科大学の新設(農林専門学校の昇格)にあたり大学設置基準を満たすため、現在のユーカリ会館の場所に、南北向きのコートが東西に並んで2面作られた。昭和37年8月、徳島大学で行われた文部科学省共済組合四国地区大会軟式庭球の部で、主として農学部教職員のメンバーで優勝を果たした。昭和37年秋、ユーカリ会館新築着工のため、コートは消滅した。昭和38年10月に、当時の運動場の西端に正式のコート1面が完成した。これが現在のいわゆる第1コートである。フェンスは板張りの腰で、審判台とネットポストは木製で、昭和40年代までそのままであった。昭和44年3月、フェンスの改修が行われ、南北面はブロックの腰で鉄骨金網張りの囲障となった。昭和51年2月、体育館落成に伴って、加えて、52年度における旧農場跡地へのグランド新設及び運動場南部分への温室新設予定もあった。
 block_57607_01_Mこの様な状況から、テニスコートと体育館の間の空き地をコートとして利用できるようにしたいという要望が強まった。そして、全学部を巻き込む署名運動が行われて、コート増設要望書が昭和50年11月に学部長宛提出された。その後、同好者総動員で土入れ、地ならし、ローラーがけなどが行われた。昭和51年春にネットポストが設置されて、現在のような4面のコートが揃った。昭和51年6月には木柱化繊ネット張りフェンスが設置された。昭和52年1月、農学部教職員軟式庭球クラブ結成趣意書?入会勧誘書が全教職員に配布され、46名の入会があった。52年2月、小雪の舞う中で、40名の参加の下、クラブ発足記念大会が開かれた。昭和52?53年には、夕方、有志が集まって、自主的な練習会や全日本ランキングプレーヤーのコーチを招き講習会が開かれた。その後、クラブは順調に発展を遂げ、クラブの大会はもちろん県連盟等主催の各種大会に参加するクラブ員も増えた。クラブ内の大会カップも16に及んだ。昭和54年頃までコートのラインは石灰の粉末かそれを水に溶いて引かれていたが、55年冬には全コートにラインテープが張られた。昭和59年12月に本格的な鉄柱金網張りのフェンスに更新された。昭和60年には有志の奉仕活動で、コート北側の排水溝が竣工した。〈抜粋ここまで〉
 ずっと懸案だった南側は、クラブの会費の援助を受けて、平成23年高校生たちの手作業によってやっと完成した。
 
 現在も高校生の部活動、大学生のサークル、教職員の有志が有意義に活用している。幸いにも、この恵まれた環境であるが故に、インターハイや国体に出場する選手が育ち、充実した教員生活が送れたことに感謝している。残すはオムニ化と夜間照明の設置である。これからも、(水田と同様に)樽味の地の大切な空間だと思っている。