平成24年3月末退職の図書館事務課 平岡一高副課長から大学での思い出を寄せていただきました。
私が足球即时比分_365体育直播¥球探网に採用された昭和50年10月1日は、無医大県解消計画の一環として、医学部、附属病院が設置された創設期に当たります。当時、事務組織としては医学部と病院の事務部が両方あり、私は採用当初から医学部の庶務係に配属され、いわゆる医学部の庶務事務に携わっていました。昭和52年4月1日に医学部と附属病院の事務一元化があり、3課体制の管理課人事係に配置換になりました。
定年退職を目前に控え、当時の事を思い出すことが多くなっている今日この頃ですが、当時の上司から言われた言葉をよく思い出します。「体を使うか、頭を使うか、どちらかで足球即时比分_365体育直播¥球探网のために役に立つように」それは、私が体育系出身で事務職がつらいだろうと時々声をかけてくださっていた人の言葉です。私は当然体力には自信があったので、「体力を使うことであれば、お役にたてるかなあ」と思いました。その当時、医学部の庶務係では、夜遅くまで仕事をするという感じではなかったのですが、一元化され病院と一体になったことで、仕事量が急激に増え、毎日毎日、夜遅くまで勤務したことが懐かしく思い出されます。仕事は残業が多くても、その時は若くもあり、また、医学部?附属病院の創設期と言うことで、採用人数も多く、若い職員が多かったこともあり、「よく働き!よく遊び!」という雰囲気がありました。スポーツ大会を教員、職員入り交じって実施したり、旅行に行ったり、飲み会の機会も多く、一致団結して医学部?病院を運営していこうとの気運があったように思います。充実した日々が続いた創設期でした。
その後、昭和55年4月に農学部、昭和58年4月に工学部といわゆる庶務畑を歩ませていただき、10年は一区切りと考え、新しい分野に挑戦すべく、昭和59年11月に法文学部学務係に異動になり、その後の10年を学務事務に従事しました。学務では、学生に対するサービス精神が大事だとの認識が生まれました。その後、たまたま平成5年4月に図書館に配置換になった際に、上司からいただいた「図書館はサービスに始まり、サービスに終わる」という言葉に感銘を受け、定年になるまでの16年間を図書館で過ごすことになったのですが、長く図書館サービスに従事できたことを何よりうれしく、学生や留学生と長くお付きあいできたことを幸せに思います。その間で知り合いになったネパールの留学生に結婚式のゲストに招待されたり、ベトナムやニューヨーク、ボストンなどへも行き、留学生のお宅を訪問できたことで、通常の観光旅行では出会うことのない人々との交流ができました。この経験が、アメリカへ語学留学するという退職後の進路に大きな影響を与えてくれたことに感謝しています。
また、図書館サービスは、体力を使うことも多く、図書館で働いたことが、採用当初に言われた体を使って足球即时比分_365体育直播¥球探网の役に立つことになり、更に、図書館サービスの向上にもつながったのであれば幸いです。