平成21年3月末退職の工学部工学部等技術部 牧千賀子技術専門職員から、足球即时比分_365体育直播¥球探网での思い出を寄せていただきました。
退職に際して
40年前、リンゴ箱の内側にかわいい狆の絵のあるカレンダーを貼り、学生時代使った鍋や包丁を詰めて、金槌でトントンと釘を打ち松山に来る準備をしたのが、この間のように思い出されます。
工学部を退職された人と久し振りにお会いした時、大学で働くことができてよかったと、話が弾みました。余暇時間の楽しい思い出がよみがえります。土曜日の午後に集まり、先生に来ていただいて、押し絵や藤の小物入れ等を次々と制作したこと、夏休みに年休を取って自動車教習所に行き、補習をいっぱい受けながらも自動車の免許を取ったこと、等々。
私は日本女子大学の通信教育を受けました。卒業には1学年に40日間のスクーリングが必須です。行かせてもらえるだろうか心配しましたが、「僕も苦学生だったから」と快く出して下さった伊藤先生、その後の酒井先生有難うございました。長い年月、色々なことがあり、思い出されますが、その時々にお世話になった人があり、感謝せずにはいられません。岡田先生、定岡先生、松口先生、応用化学科の皆様、大学の皆様お世話になりました。お礼申し上げます。
私は一度、産休、育児休暇をとらせていただきましたが、2回同僚の産休の代役もしました。初めてする仕事に間違いのないように、期限のある仕事の時は、家に持ち帰り遅くまでしました。無事会議の資料をまとめることが出来た時はほっとしました。日直の時も研究室から仕事を持って来ては日直室で済ませ、研究室に運び、また仕事を持って日直室に帰って来る、ということを1日中やって、やり遂げた時は嬉しかったのを思い出します。最初気が重く感じた仕事もやり終えると不思議に自分にとって何かプラスになったような充実感、やらせてもらってよかったという感じさえ残りました。実験は、なかなか予測したようには進まないこともあり、ある時、英会話サークルの忘年会の日、なかなか実験が終わらず、それでも何とか参加して友達に会いたいという思いで、かなり時間が経過していていたもののどうにか終わらせ、帰り支度をして自転車置き場に駆けつけたところ、研究室の学生さんから、「エプロンついとるよ」と注意されたこともありました。
40年間で色々と大きく変わりました。応用化学科に10人近くいた職員が私1人になったり、運動場だった所に建物が出来たり。そして、理学部が移転した時に立て替えられると思っていた共通教育棟が今ようやく改築、耐震工事、化粧直しされ、美しく出来上がりつつあります。私も4月から、心をリニューアルして、契約職員として再出発します。又、暫くご一緒させていただきますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。