帝国から国民国家へ

 本人写真私は、19世末から現代にかけてのオーストリアにおけるナショナリズムの問題を研究しています。現在のオーストリア人にとって「自明である」オーストリア人という意識は、第二次世界大戦後に「形成された」ものだといわれています。私の研究では、このオーストリア人意識がどのようにして形成されたのか、その形成過程を、特に19世紀末から受け継いできた国家や民族のイメージと変容と持続という観点から辿っています。
 現在のオーストリアは、住民の大多数をドイツ語系の人々が占める小国ですが、19世紀のオーストリアは10以上の民族が暮らす複雑な民族構成を抱え、その領域は、現在のオーストリアを越えて、遠くハンガリー、チェコ、スロヴァキア、ウクライナ、ポーランド、旧ユーゴスラヴィアにまで及ぶ中欧の大帝国でした。この伝統ある多民族国家は、19世紀末から民族問題に悩まされ、第一次世界大戦末に諸民族の相次ぐ独立宣言によって、事実上解体してしまいます。この時、かつて帝国の指導的?支配的民族であったドイツ系住民を襲った心理上の衝撃は途方もないものでした。当時のドイツ系住民は、国土も人口規模も大幅に縮小したオーストリアを「残りかす」と見なし、ほとんど価値を見出すことができず、むしろ「同じ」ドイツ民族が暮らすドイツへの統合(合邦)を模索しました。ドイツとの合邦は、やがて旧帝国から独立した諸国と連合国の反対に遭遇し、頓挫しましたが、その後もオーストリアではドイツへの接近を模索する動きが続きます。しかし、ドイツでヒトラーが政権を取った後、ドイツ人であることとオーストリア人であること、つまり、ドイツ民族への忠誠心とオーストリア国家への忠誠心の間でオーストリア人の心は揺れ動くことになります。

 
 著書の写真当時の中?東欧では、民族は一つの国で自分たちだけで生活するべきだという民族自決の考えが力をもっていました。そのため、自分もドイツ民族の一員であるという意識を持っていたオーストリアの保守派は、合邦を主張する国内外の敵に対抗して独立を主張する時、この民族自決概念に対抗し、新たな独立の論理を打ち出さなければなりませんでした。この時、彼らは古くから受け継いだ多民族で巨大な国家のイメージを、新たなドイツ系住民の小国家という現実に接ぎ木しようと試行錯誤します。そこでは、古い国家や民族イメージは変容を来す一方で、人々の思考を依然として縛り続けていた様子が浮かび上がります。
 この国家や民族イメージの「変容と持続性」に関して、19世紀末から第二次世界大戦までのオーストリアにおける営みを保守派の政治家を中心にまとめた成果を、拙著『オーストリア国民意識の国制構造』(晃洋書房、2013年)として出版しました。

研究の特色

 中央ヨーロッパは、多くの民族が移動と定住を繰り返して混在するような典型的な多民族地域で、民族同士の対立が生じ、そのため二度の大戦の舞台ともなりましたが、それだけに、現在でも傾聴に値するような諸民族共生のための民族理論が提示された地域でもあります。さながら「実験場」のような地域の民族問題を、歴史を遡及して考え、これを現代や他の地域の問題と比較検討できることが魅力だと私は思います。日本人意識のようにあまりに「当たり前」のように感じているものを相対化し、「なぜそのような意識を持っているのか」と問いなおす手掛かりにもなるでしょう。

研究の展望

 現在は、従来の研究をさらに進め、第二次世界大戦後の国民意識形成へ向けた動きを追求する一方で、現代問題として「人の移動」を研究しています。具体的には、移民?外国人労働者の問題、そして第一次世界大戦中の捕虜政策と大戦後の帰還問題を検討します。これらを通じて「国民国家の時代」と呼ばれる20世紀を問いなおしていきたいと考えています。

この研究を志望する方へ

 私の専門分野は歴史政治学(政治史)です。この分野については、まったく個人的な意見ですが、現代的な関心を持つこと、そして旅行などを通じて「民族の現場」を見て回ることをお勧めします。「歴史は一度きり」だとすれば今の現場を見て回ることに意味はないのかもしれません。しかし、人間社会の様子を知るのになかなか「実験」はできず、そのため、過去の事象を通して現在の事柄を考察する必要も生まれてきます。政治学のなかに歴史を取り扱う科目があるゆえんもここにあり、だからこそ、民族についての現代的感覚も磨く必要があると思うのです。